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小学生の掛け算のお話

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DRBです.

私はブログを通じて,

こいつの考え方おもろいなあ,しかもなんかおもろそうなことやってるしマネしてみよっかな!!

みたいになりたいのです.そしてあわよくばお金が欲しい(趣味の軍資金にして,より面白い人間を目指したい.)

 

いや.というよりはやはり自身の人生を謳歌したい.

まあ,そんなこんなで,とにかく自分の考えをまずは見てほしいというのもあるので,時事問題を拾って意見を書いていくというまさしく雑記な日記もちょこちょこ書いていこうと思います.

今回のテーマは”掛け算の順序”

まあいくつも話題に上がってますが,適当に一つ引っ張ってくるとこんな感じです.

思うところがあるのでつらつらと書いていきます.

掛け算の順序問題

そもそも掛け算の順序って大事?

えー,まず数学的な結論から言いますと,クソ大事です.

例えば高校3年(あ,そういえば最近カリキュラムで外された気もしますが,見てるのは親世代であることを前提にします.)で習う行列は,掛ける順序で結果が変わります.ハイ論破.

いーさん
いーさん

こいつ言い方が幼稚すぎて草も生えない…

という言い方をするからtwitterは荒れるわけですね.もっと冷静にお話ししましょうよ.

 

まあ,言い方に難がありましたが,数学上,記述する順序で結果が異なることは往々にしてあるわけです.先に挙げた行列の場合,×記号がそのまま利用されますから,

A×B=B×A

はAとBが数字(スカラーといいます.)の場合は正しいですが,AとBが行列の場合は正しくないこともあるわけです.

他人のことをとやかく言うのはこのブログではやりたくありませんが,行列を多用するゲーム等でのプログラムでは掛け算の順序で結果が大きく変わりますし,バグの要因にもなり得ます.論文ならなおのこと.機械系の論文なら間違ってたらボロクソに叩かれてもおかしくないです.学習指導要領は知ったこっちゃない.なぜならこの指導要領を作った人たちがそもそも掛け算の順序など微塵も気にせずに生きてきた人である可能性が高いから.

 

ここで少し言葉を濁したのは,行列でもこの二つが一致するときがあるからです.今は本質ではないので飛ばしますが,こういう細かいところで正しい言葉を使う努力は誤解を招かないためにも重要だと思うのです.(特に議論と教育の場では.)

Twitterは短い言葉で呟くためのツールなのに,その場で議論しようとするから互いに誤認したまま議論が進むことがあります.不毛だからやめた方がいいと思うんだけどなあ.

話がそれたので戻します.

この話の一番の問題

正直,順序が大事かどうかそれ自体は割とどうでもいいと言いますか,今回私がモノ申したいのはそこじゃないのです.

圧倒的に問題だと思うのは

順序とかどうでもいい派があまりにも思考を放棄してる件

ここに尽きると思うのです.他にも問題は内包してるのでしょうが,長くなりすぎそうなので抑えておきます.

思考を放棄しすぎとは?

この一連のツイート騒動の中で私が一番驚いたというか,悲しかったのは

「どっちも答え一緒なんだから正解でいいだろ」

って言っている人たち.いや,本気で言っているのなら,日本の教育制度の敗北としか言いようがないです.

さんざん言われている気もしますが,日本の教育は”テストで点を取る”ことにあまりにも重きを置いたものが多すぎます.

私は今研究を生業として(成果は出せていないのでお察し状態ですが.)いますが,この世界では明確な答えが用意されていることなんてありません.

政治の世界もそう.未来のことを決めるのだから,もちろん答えなどあろうはずもない.まあ,あからさまに間違っている事だけはわかる,ということはあるかもしれませんが.

答え一緒だからいいだろって.これを述べている人たちは全ての実数に対する掛け算の答えを調べ上げでもしたのでしょうか…

もちろん,スカラーに対する掛け算の順序を交換しても変わらないことは証明されています.しかし,きっちりと数学的に証明されない限り,我々は例え今まで知りえているすべての例でそうだとしても,”絶対そうである”とは口が裂けても言ってはいけないのです.

「誰かが証明したんだからいいじゃん」

って声が聞こえてきそう.

ほんとにこのままいくと,2世代くらい後の人たちはロボットが生活をサポートしないとろくに何もできない木偶になりそうでほんとに怖い.SF的恐怖を覚える.

教育としてどうすればいいのかを考える

教育としてどうすべきなのか

そもそも,先生や親が絶対的に正しいみたいな概念というか,共通認識というか,そういうのを真っ先に消し去るべきです.

私の例を挙げるのは何やら気恥ずかしいですが,

私の場合,母は学歴もよくないし,勉強嫌いと小さいころから聞いていたので知ってました.ちなみに小4?だかの分数で躓いたらしいです.

でも私は勉強好きになりました.母のおかげだと思います.

なぜかというと,母はわからないことがあると,普通に息子である私に聞いてくるのです.

これって何?テレビでよく言うけどよくわからん

DRB
DRB

ぺらぺら…ぺらぺら

ふーん.途中からよくわかんなかったけどすごいねー.

いや,わからんかったんかい!ってなるんですけど,ほめてくれるので悪い気はしないですし,むしろわからせてやろうと出来るだけ分かりやすくなるように優しい言葉で説明するように工夫したりしてました.

この過程が学びに繋がったんだろうなあと思います.

話が取っ散らかりまくってるのでまとめます.

 

まとめ

結局この話で何が言いたかったかというと,

  1. 思考放棄はほんとにダメ,特に教育で
  2. 答えを追求するだけの教育はダメ

の2点に尽きます.

今回に則した例を挙げるなら

  • 教師は△で今回は点をあげる措置でいいのでは?
  • なぜ△にしたのか,順序が変わると何がどう問題になりそうか一緒に考える
  • 親はtwitterでyesマン探してる暇があったら一緒に悩んであげる,子供にと共に悩む機会と時間を作る

が必要でしょうね.合ってるとか合ってないとかはそのあとの問題.もしかしたら答えのない未知の問題かもしれないですから.

 

これあれだな.まとめだけ読んだ方が良さそう.

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