流石に雑記過ぎますかね?
でもブログを書くと決めた時,自分の思想はどこかに垂れ流して,できたらフィードバックは欲しいなあと思っていたので悪しからず.
さて,今回のタイトルは”勉強の意義”ということで,このブログの内容を端的に表すなら,
「自分は勉強しててよかったと心の底から思っているのに,やりたくないとか言ってるやつ勿体無さすぎワロタ」
っていう内容です(意味不
勉強が人間の繁栄のキーだった!?
頭が良いから,道具が使えたから繁栄できた.というのは個人的な意見としては半分正解,半分間違いです.
人間にかなり近い種である類人猿はちょっと一旦おいておきます.
それ以外の動物も道具を使うことはありますが,決定的に違うのは,
その道具の使い方を先天的に知っているのか,後天的に得られるのか
というところにポイントがあると思っています.
端的に言えば学ぶことができるのが最大の特徴なのです.
んで,また堂々巡りになるわけですが,
じゃあ何故人間だけ(猿もできるかもですが)が学ぶことができるのか
というのが次のポイントです.これは人間が
似た者同士をまとめて一つの”概念”として記憶できるから
だと思っています.
よくある例を出します.
みなさん”葉っぱ”を思い浮かべてください
というと,大体
こんなやつを思い浮かべるのではないでしょうか.でもそもそも葉っぱというのは抽象的概念で,実態があるものではありません.
は?
ってなってるかもですが.じゃあ
松の木の葉っぱを思い浮かべてください.
って言ったらどうですか?さっきと全然違うの思い浮かべません?同じだったという人は寒冷地方の出身か,ひねくれたやつです.
要するに”葉っぱ”というのは,様々な植物の,特に光合成をおこなうための機関を取りまとめて一つの”概念”にまとめたものであって実態ではないわけです.つまりこういうこと.
これを行うことによって効率的に他者と意思疎通ができ,後天的に,一人では到底経験しえないような様々な知識を蓄え,多くの道具を使いこなしたりすることが出来るわけです.
あ,言語が発達したからコミュニケーションが取れて云々も必要な要素だと思っています.進化の過程的にどちらが先だったとか知らないので,詳しい方は補足とかして頂ければ幸いです.
- 個々の似た現象をまとめる
- 人に教えられるように概念にする
まさしくお勉強です.お勉強ができるからヒトは広く繁栄できるのです.
学校で教わることだけが勉強じゃない
例えばスポーツ.新しい技術を身に着けるために練習して,できる人の動きを見て自分との違いを確認して,修正して,いつしかできるようになる.
このプロセスを勉強と言わないならなんだと言うのか逆に教えてほしいです.
勉強と思ってやってる時点で半分負けてる
例えばスポーツをやっている時,
これはやらなきゃいけないからやるんだ
と思ってやっている人います?
最近習い事でやらされている人とか多いのかな…
楽しくないことをやってても伸びないのは当たり前だし.やってるのに伸びないと余計嫌いになるし苦手意識を持つのは至極当然なことです.
じゃあ勉強はなんでやらなきゃいけないの?なくても生きていけるじゃん.
っていう人絶対にいますよね.
面白いからに決まってんだろ.
って言いたいんですけど,スポーツとかと違ってぱっと見の印象で面白いと思わせられない上に,結構やらないと面白くならないのが勉強のめんどくさいとこなので,個人的に
勉強しててよかった!!
ってなる理由を,例と共に話していきます
が,途中脱線したりもします.仕様です.
勉強のメリット
視野が広がる,視点が増える
例えば数学,これが一番端的な例になると思います.
数学って勉強したくないって感じる人が一番多い学問だと思います.なぜかって単純に
やる意味が分からない,なくても生きていける
という声が多いと思います.
いや,必要やろ!
って声が聞こえてきますし,実際必要だと思っているのですが,無くても生きていけるというのはある意味的を射ているのです.これを放置して必要だと喚くのはそれこそ思考停止,詰め込み教育の弊害だと思ってしまいます.
数学は”概念”の学問
数学が議論するのはあくまで”概念”なのです.
一例を考えましょう.ゆとり教育時代に議論に挙がっていた”円周率問題”というのがありました.円周率を3.14として教えるのか,3として教えるのか,という問題です.
正直個人的にはどちらでもよくて,どちらも間違っている.と思っています.
円周率はとある一つの無理数であって,これを数値として書き下すことはできないわけです.概念的な数値です.これを概念であるということを教えられない程度の知識しか備わっていない小学生にそもそも円の話をするのが間違ってると思うのです.
話がそれたので戻します.上の例のように,数学で語るのはいつでも”理想論”であり,現実ではありません.もっと言うと,概念としてまとめて扱えるのであれば,現実に全く則していない,あるいは存在していなくてもよいのです.
その中に,たまたま幾つか現実で使っても差支えのないものがあるわけです.これでもあなたは
絶対に数学は必要だ!
と言えるでしょうか.よく槍玉に挙がるsin,cosも,確かになくてもあなた自身は生きていけるのかもしれません.
それでも数学を学ぶわけ
数学は”絶対的に”必要なわけではないという話をしました.
でも私は数学を学んだ方が絶対に良いと確信しています.なぜかというと
視野が広がるから
です.はい,ようやく小見出しを回収します.
逆説的ですが,数学のいいところは,”別にそれが現実に則していようがいまいが関係ない”というところにあるのです.
これは現代物理とかで良くある話なのですが
〇〇という現象があった!
理論的に考えると理想的には数学の△△に従うけど計算がとっても難しい!
でも数学的には△△と□□って同じになるよな?コッチ使えば楽じゃん!
みたいなことがあるのです.数学はその形を自在に変えることが出来る万能な道具なのです.
もっと分かりやすく例えるなら現代の生活におけるスマホです.
アプリを入れたら色んな使い方ができるよね.そのアプリが数学だと思ったらいいよ.
アプリがないスマホなんてただの電話だよ.
なくても生きていけるのは否定しないけど,使い始めたらなかった頃の生活には戻れないでしょ?
勉強したくないと思っているそこの学生さん?
スマホを頑なに使わないおじいちゃんおばあちゃんを見て,「なんで使わないんだろう」とか,「使わないとか絶対損してる」思っていませんか?
同じ気持ちをあなた達に抱いている人が多くいることを知った方がいいです.それだけです.
(ていうかスマホなんて数学と物理と化学の塊だよ.みんなDr.stone観て感動したら勉強はじめるんだよ.)
(先程の小見出しで数学出来ないと〇〇は生まれなかった.っていう反論とほぼ同じかと思うんですけど,その反論には,”あなたが好きな△△についても,数学があればより深い理解を示せますよ”って話とは別なんですよね.ブログ論的な論調でいうなら,そこには”共感”が欠けてます.スペックだけ見せられても購買意欲が起きないのと同じだと思ってます.)
同じ間違えをしない
これは広い意味で書いてます.
自分で痛い目にあったらそれをしないようにしますよね?(一部の方を除く)
それも勉強です.
ただ,歴史を学ぶっていうのは,他の人の痛い目を予め知っておくことで,「自分はそうしないようにしよう」って予防線を張ることが出来るわけです.
まあこれに関しては言われなくてもわかるよ.って感じたと思うのでさっくりこの程度で.
ただ,理系科目と文系科目ってよく言いますが,いわゆる理系科目(数学,物理,化学,生物)ももれなく歴史,過去の人間の歩みを記録したものである,ということは覚えておいた方がいいです.
- 文系科目(歴史)は失敗したもの,過ちを題材にすることが多い
- 理系科目(数学,化学,物理)は成功したもの,正しい結果を題材にすることが多い
と考えると,文系科目が好きな人も何となく親近感が湧くのでは?
もう一つ違いがあるのですが,これは題材の性質によるもので.
- 文系科目⇒過ちを題材にする⇒過程を知って,反省する
- 理系科目⇒成功した結果を題材にする⇒結果を端的に示す
事が多いかなと思います.だから理系科目はまとめられた結果を数式なりで記すことが多いわけです.結果か過程か.基本的な違いはこれだけ.
(国語と英語はちょっと省きます.だってコレ言語だもん.国語の文章問題は過ちを題材にすることが多い気はしますけどね.特に古文漢文)
どちらか一方の科目が好きだと思っている人も,こういう見方で見ると面白いかもしれないですよー.特に理系科目が苦手な人は,科学史を見ると,歴史学ぶのと感覚がほぼ同じになるのでおススメ.
研究者を目指す人に向けて
結果を求めるか過程を求めるかの違いといいましたが,研究者になるなら話がちょっと変わります.
- 文系⇒過去を調べる
- 理系⇒未来を調べる
と考えると分かりやすいかと.
これに関しては特に理系の人が陥りやすいミスなので気を付けた方が良いです.何かというと,
数学めっちゃ楽しい!
と思っている人,正しい結果にたどり着くのが快感で数学やっている人は恐らく研究者には向かないかもしれません.学校で勉強する範囲では,正しい結果を教わり,それを扱うことばかりがクローズアップされますが,実際の研究は,その”結果”がわからないので探しましょう.という話になります.もちろん,授業ではあまり教わらない”過程”の部分が大半を占めていて,正しい結果にたどり着かないことの方が多いのでストレスフルになってしまうかも.
歴史研究も過去には目を向けますが,正解の保証がないのはこちらも同じ.テストで点を取るのとはまた違ってくるので,研究者を目指す人は自分の中で整理しておきましょう.
(自分はちょっとミスったなと思っているのは内緒.)
とりあえず大体なんにでも応用が利く
勉強のいい点はこれに尽きる.といっても過言ではないと思います.
実際スポーツで体動かす時も物理の視点から考えると腑に落ちることも多いですし,ブレイクダンス(こんなブログ書いてる私ですがブレイクダンスが趣味です.)の元プロの方と技の話してるとき,思いっきり物理の話題しましたが,向こうも納得がいく内容だったようで喜んでもらえました.こういうきっかけがあれば勉強もスポーツもモチベが上がると思うということで,許可をもらって一連の会話をnoteにまとめることにしました.
勉強することのデメリット
個人的にはあまり浮かびませんが,あえて捻り出してみます.
講釈垂れる人はこぞって
勉強は大事だ,いいもんだ
しか言わないのが胡散臭いんですよね.マルチ商法みたいなもんじゃないですか.
時間がかかる
どの程度深く学ぶかに依りますけどね.数十秒で終わることから一生かけてもわからないことまで,この世にはわからないことが満ちています.
必要な分学べばいいんです.但し,視野が広まるという観点においては学べば学ぶだけ広がりますし,学問のいいところは全く別の分野に応用すると道が拓ける事があるという所ですね.
無駄になる可能性がある
ある時ちょっとしたことで役に立った,とかそういう場面ってすごく多いんですけど.
学ぶのにかけた労力が全てもれなく還元されるかというとそんなことはないでしょう.
数学なんかは大体なんにでも応用が利くので(考え方,発想の転換とかそういう意味合いも含めてます.),腐りにくいとは思いますが,役に立ったかどうかは個人の主観でしかないですからね.ノーベル賞とか取っちゃうレベルなら話は別ですが.
デメリットになるかどうかは自分次第
勉強,特に学校で身に着ける知識というのは比較的汎用性が高いものではありますが,裏を返せば誰もが知っている可能性が高いので,使えた!と実感することは多くないかもしれません.
楽しいなあって思えるのはむしろ,ちょっと横道にそれたトリビア的な知識だったりします.まあそのトリビアを手に入れるのに基礎的な,学校で学ぶ知識が必要な場合が多かったりするのですが.
たとえるなら,学校で学ぶ科目がスマホ本体,トリビアがその上で動作するアプリです.株をやらない人が株取引をするアプリを手に入れても使わないかもしれないけど,やる人にとってはすごく便利ですよね.そゆことです.
さらに,株をやるのに経済学とか学ぶと助けになったりますが,心理学やら数学の知識があるとすごく有利です.こんな感じ.
芋づる式にたどっていくと根っこにあるのが学校の勉強.でもイモの存在がわかってないと根っこなんて触る気にもならない.
勉強に興味がもてない人はイモの存在を知らずに根っこをスルーしてる感覚ですかね.
知ったうえで根っこをスルーするかは本人の好き勝手だけど,その判断の扉の前にすら立てないのは何というか,もったいない気がします.
勉強の意義:まとめ
結論なにが言いたかったかというと,
勉強は楽しいぞ!
の一点にほぼ尽きます.
振り返ってからじゃないと楽しいと言えないのが難しいところですね.
スポーツなら見た瞬間に楽しそう!とか分かりますもんね,何となく.
もちろん個人差はありますけど.
あと,”勉強の意義”を問いたがる人たちって,何故か「それが役に立たなければやる意味がない」と思っている人多いと思うんですけど,じゃあ
生物が生きている意味って何?
(何かの趣味に対して)あなたはなんでそれが趣味なの?意味あるの?
とか問われたら詰むと思うんですよ.だって意味なんてないから.
趣味やる意味なんて楽しいからに決まってるじゃないですか.
その楽しい趣味により楽しくなるヒントを与えてくれるのが勉強だったりする,と思いますよ.
実際,私がブレイクダンス界のレジェンドレベルの方と技の話をした時はほとんど物理の話をしてたわけですし.
股関節の観点からも議論をしました.学問で言うなら解剖学でしょうか.
ともかく,何が言いたいかというと,学ぶのは人間の本質であり,一人では見れないような新しい景色を見せてくれます.最後にニュートンの手記からの引用をもって締めくくります.
私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。
(英語: If I have seen further it is by standing on yᵉ sholders of Giants.)
それでは.
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