仕事が忙しくてなかなか更新できなくてつらい.どらびです.
また日記というか,思想垂れ流し記事を投下します.
正直これ書いてるのが一番楽しいんです.
さて今回はこんなツイートまとめに対して
思ったことを書いていきます.未払い問題はほかにもいっぱいありますが,上のはあくまで一例です.最初に見たやつは探しても見つかりませんでした…
タダでやって問題
最近かなり深刻な問題になってますよね。イラストやら何やらの創作物をやらタダでくれだの、高すぎだのという人がとても多いです。なんでこんなことが起こるのか、様々な立場から議論されますが、私としてはコレは色んな問題が割と複雑に絡まっていて、簡単な話ではないのです。
ということで順を追っていきましょう。
クライアント側の問題
これに関しては比較的単純です。後述する問題のせいでややこしくはなりますが、まあ置いとくとして、結局は
価値を解っていない
のが問題なわけです。所謂原価厨もこれに属します。原価厨がやっかいなのは、何故だかよく分かりませんがやつら原価にだけは詳しいんですよね。どこから仕入れるんだその情報。それ調べられるんだったら流通に至るまでの総コストもわかるやろ、と思うところではあります。
ホスト側の問題
往々にしてコレを無視して議論する人多い気がするのです。そして私はそれが気になる。
先程クライアント側の問題として価値に対する無知を挙げましたが、正直ホスト側もちゃんと理解してない人が多い気がします。
タダでやれ問題を非難するホスト側サイドの社長として、価値を決めるのはホスト側であるという旨の発言をする人が多いですが、これは明確に誤りです。
価値を決めるのは市場です。
コレ大事!
私ならテストに出します。
冗談はさておき。
明確に誤りであるとしましたが、厳密にはほとんどの場合で、明確に誤りです。
ホスト側が価値を自由に決められるのは、寡占状態にあるときだけです。
あなたが引き受けないという価値基準であっても、その条件で引き受ける人がいれば、顧客はそちらに流れるでしょう。そうすればあなたの利益は極論0になるわけで、行き詰れば二束三文でも引き受けるようになるでしょう。つまりはこういうこと。義務教育の社会科で教わる範疇だと思います。
見えない価値と誤解するクライアント
現代では、個人がモノを売ったりするのが容易になった時代です。
そうなると、問題なのが競争相手の数。企業だけで争っている頃は何かしらの差別化を図ったりすることでなんとか均衡を保てていても、個人が台頭することによりそのバランスは崩壊してしまいます。
更にタチが悪いのは、個人が何かを売り上げるには、自分自身を宣伝しなければなりません。そのために商品自体を一時的に宣材としてタダで配ったりするわけです。こんな不健全な状態が当たり前の世界で育った若者に、一辺倒に
お前は無知だ、モノの価値もわからんのか。
とか言ってもしゃーないんです。むしろ現代におけるモノの価値を理解してないのはあなたの方かも知れません。
(何が言いたいかというと,自分の理解できないような思想だったり,行動だとしても向こうが当然のようにそれをするのであれば,それなりの考えやら前提やら,何かしらの背景はあることが多いので否定から入るのはよくないという事.)
イラストなんかは典型例です。テレビをつければハイクオリティのアニメーションがタダで見れます。ネットでも好き放題見れます(違法アップロードもあるわけですが…)
それがそんなに凄いもので価値があるものだと、きちんと教わらずして理解できるでしょうか?まあ自分で描いてみれば一発で分かるはずなんですけど…
(注意して欲しいのは、決して擁護してるわけではないということ。)
これがクライアントとホストの不健全な、爛れた関係です。
プロという言葉に対する過剰な期待
さて、ここまで経済の観点で物の価値と、タダでやれ問題に触れてきました。
ただ、もう一つ別の側面に理由があると思ってまして、それがタイトルの通り
日本人は「プロ」という言葉に過剰な期待をしている
という問題です。
要するに、タダでやれと言ってる人達は依頼先の人をプロだと認識していないのです。
Twitterで気軽にお願い出来るようなところにプロなんていない、位の感覚なのでしょう。
プロ≠企業
プロ=professionalとは”職業の”,つまり仕事にしているかどうかなのです。個人だろうがクオリティが低かろうが、対価を持って仕事を引き受けるのは全てプロなのです。Twitterとかで広告出してる人の中でも,お世辞にもうまいと言えないタイプの絵柄の人もいます.ただ,その絵柄を差し引いても面白い内容だったり,知名度だったり,とにかくクライアントとホストの間で価値,まあ恐らくは金銭でしょうが,を介した契約がなされているわけです.
ただ忘れてはいけないのは、契約には責任を伴うという点で、契約が成立した時点で双方が同意した基準に達するモノを提供しなければならない責務はあります。
それから,クライアントから直接受けるクレーム以外の,第三者の意見は無意味です.というかこれに応えるのは殆ど最悪手といっても過言ではないでしょう.最近の例だとGoToキャンペーン.
東京を除外したのは感染症的にはいいのかもしれませんが,その判断をせざるを得なかったとしてもやり方が最悪でした.あれでは単に「国民からクレームが来たから東京を外すことでとりあえず対策した感を出そう.」という風にしか見えません.
それに,あのキャンペーンによって一番救済したかった旅行会社を救えなかったばかりか,それ用に準備するための費用が逆に赤字計上されるような結果になっています.本末転倒もいいところです.
対して良い例がコレ.
明確に法律等に違反しているのを指摘された場合を除いて,金を介さない第三者あるいは一時的な客の意見を取り入れて,クライアントの意思を尊重しないのは,長期的に見て損しかしません.確かに不平不満を言われるのはいい気分しませんが…
自分ができないから頼んでるなら,文句は言わない.
プロにモノを頼んだという事は,よほど特殊なケースでもない限り,自分がそれを出来ないorできたとしてもクオリティが低いから頼む訳です.
それならば,価格の交渉も含め基本的には頼まれた側に主導権があるのは当然のことです.
買う側が取れる選択肢は
- 買う
- 買わない
- (値下げ交渉として)懇願する
実質ほぼ2択しかないわけで,3つ目はあくまでお願いなんです.価格交渉で購入する側がイニシアチブをとれるのは冒頭で述べた通り,ほかにもアテがある時だけです.まあ,競合がいないことはそうないので,双方市場価格から大きく外れた値は望むことができないのが正確なところです.
これまた先に述べたように,個人の台頭でバランスが崩れているのは否めませんが,基本的なシステムはこうだと思います.
プロだから自分の思う通りのものができて当然,価格ももっと安く!なんて勘違いなのですが,同時にこれはプロへの過剰な期待が遠因だとも思います.
できない自分よりは上だけど,トップだとは思わない.提示された金額と自分の要求が合致するなら依頼する.そうじゃないなら諦める.
シンプルなはずなのに,過剰な期待と誤った知識,あるいは無知のせいで双方不幸になるのは損だと思います.
まとめ
グダグダ話しましたが,個人的な結論は
文句があるなら自分でやれ,やれないなら黙って受け入れろ
という感じでしょうか.あえて強めな書き方をしていますが,このブログはDIYを強く推奨しているので,買うのに躊躇するなら自分でやればいいじゃない,という精神で色々トライしてほしいところです.
よくわからないつぶやき的日記記事はこの辺にしておきます.それでは.
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